まるっと深谷ガイド
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深谷市の『歴史・文化財』

レンガのまち

深谷には上質なレンガの生産に適した土があることから、レンガ生産が盛んに行われていました。
深谷市は、機械式レンガ生産発祥の地でもあります。

深谷駅

レンガのまちの玄関口
「関東の駅百選」にも選ばれた深谷市のシンボル的存在

深谷駅

現在の深谷駅は、平成8年に竣工されたもので、東京駅が深谷産のレンガを使用していることから、東京駅をイメージして造られました。この駅は、渋沢栄一翁の顕彰とレンガを活かしたまちづくりを進める深谷市にとって、シンボル的な存在となっており、「関東の駅百選」にも選ばれています。駅北口には、「渋沢栄一からくり時計」が設置されているほか、ステイションガーデンがあり、1年を通して皆さんをお出迎えします。

旧煉瓦製造施設
日本の近代化に大きく寄与した煉瓦

日本煉瓦製造株式会社は、明治20(1887)年に設立され、深谷で操業を開始しました。製造された煉瓦は、東京駅丸ノ内本屋や旧東宮御所(現迎賓館赤坂離宮)などに使用され、日本の近代化に大きく寄与しました。しかし、時代とともに煉瓦需要が減少したこと、安価な外国産煉瓦の市場拡大を原因として平成18(2006)年約120年の歴史に幕を下ろしました。工場の一部として「ホフマン輪窯6号窯」「旧事務所」「旧変電室」が残り、専用線の一部であった「備前渠鉄橋」とともに平成9年5月、国重要文化財に指定され、現在、深谷市が所有、管理を行っています。

日本煉瓦製造株式会社旧事務所

ホフマン輪窯6号窯
東京駅の赤煉瓦はここで作られた

ホフマン輪窯6号窯は、ドイツ人ホフマン考案の煉瓦焼成窯で、明治40年(1907)に完成し、昭和43年(1968)の操業停止まで、多くの煉瓦を焼いてきました。操業中には月産65万個の製造能力を持ち、東京駅丸ノ内本屋や旧東宮御所(現迎賓館赤坂離宮)の赤レンガもここで造られました。ホフマン輪窯は日本に4基しか現存しない貴重なものです。

ホフマン輪窯6号窯

渋沢栄一ゆかりの地

近代日本経済の父、渋沢栄一は現在の深谷市で生まれました。
生地の旧渋沢邸「中の家」をはじめとする文化財をめぐることで、深谷の歴史だけでなく日本経済の礎を築いた渋沢栄一の思想にも触れることができます。

旧渋沢邸「中の家」
渋沢栄一の生誕地

旧渋沢邸「中の家(なかんち)」主屋は、渋沢栄一の生誕地に、栄一の妹夫妻が明治28年(1895)上棟した建物です。渋沢栄一が帰郷した際に立ち寄り、寝泊まりした場所です。

中の家(渋沢栄一生地)

誠之堂
風見鶏とステンドグラスが印象的な煉瓦建物

誠之堂(せいしどう)は大正5年(1916)に渋沢栄一の喜寿を記念して建設されました。その後、取り壊しの危機に瀕しましたが、平成11年に東京都世田谷区から現在の場所へ移築され、平成15年には国の重要文化財に指定されました。

誠之堂
誠之堂

渋沢栄一記念館

渋沢栄一記念館
渋沢栄一の貴重な資料を紹介

平成7年(1995)11月11日(渋沢栄一の祥月命日)に開館しました。館内の渋沢栄一資料室には、栄一の遺墨や写真などたくさんの資料が展示されています。また、栄一の肉声を聞くことができます。
講義室では渋沢栄一アンドロイドによる講義を見学することができます。

深谷の遺跡・古墳

岡部六弥太忠澄墓
平家の名将平忠度を討ち取った
岡部六弥太忠澄

岡部六弥太忠澄は猪俣党の出身で、源平合戦の一つ、一の谷の戦いで、平家方の名将平忠度を討ち、その場面は平家物語に登場します。

岡部六弥太墓

畠山重忠墓
武蔵武士の鑑

武蔵武士畠山重忠公は、鎌倉幕府の重臣として知られるています。畠山重忠公の館があったとされる跡地は、現在、公園として整備され、園内には重忠公とその家臣の墓と言われている五輪塔や、源平合戦の一の谷の戦いでの「鵯越の逆落とし」にて馬を背負った重忠公の姿を表した銅像があります。

畠山重忠墓

中宿古代倉庫群跡
奈良時代から平安時代の古代倉庫跡
今は原始蓮の名所

中宿遺跡からは、飛鳥時代の終わりから平安時代に使われた大規模な倉庫群跡が発見されました。古代榛沢郡の正倉(税として徴収した稲を保管する倉庫)と推定されています。
現在は「中宿歴史公園」として整備され、古代倉庫2棟が復元されています。また、毎年7月頃、園内の池にある原始蓮の花が見頃を迎えます。

中宿古代倉庫群跡

鹿島古墳群
県内有数の大規模な古墳群は
四季折々の花のスポットとしても有名

荒川沿いの河岸段丘に1kmにわたり古墳が分布します。今から約1400年前頃に造られた県内有数の大規模な古墳群で、56基の円墳が分布します。春には桜と菜の花、秋にはヒガンバナ、冬にはロウバイと、季節ごとに花のスポットとなっています。

鹿島古墳群

埼玉県立深谷商業高等学校記念館

埼玉県立深谷商業高等学校記念館
大正時代の洋風建築校舎

深谷町立深谷商業学校の校舎として大正11年に建てられ、大正期洋風建築の特色をよく表わした木造学校建築です。別名「二層楼」と言われ、もえぎ色の壁が目を引くこの木造校舎は、修復工事によって平成25年に当時の姿によみがえりました。

幡羅遺跡

幡羅遺跡

幡羅官衙遺跡群
東西約500m、南北約400mの範囲をもつ
古代幡羅郡家(郡役所)跡

幡羅官衙遺跡群(はらかんがいせきぐん)は、飛鳥時代の終わりから平安時代の幡羅郡役所跡で、平成13年に確認されました。遺跡全体が残り、近くに寺院跡や祭祀跡を伴います。郡役所の景観を非常に良く残した全国的に見ても貴重な遺跡であり、平成30年2月に国の史跡に指定されました。

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